2013年06月30日

部屋の屋根の修理

屋根の瓦がめくれているととなりの人に教えてもらいました。
雨漏りもなく、全然知りませんでした。
知り合いの大工さんに見て貰いましたが、瓦屋さんに来てもらわないと無理だといわれお願いをしておりましたら29日の土曜日に修理に来てくれました。

  

 いとも簡単に屋根の上を行き来しています。
 さすが本職!恐れ入ります。

         

     

   

  

          

 2階の屋上から

  東

  

  南東

  

  北

  

  北西

  

  南は我家の荒れ果てた庭です。

  

  瓦屋さんのおかげで2階の屋上に登ることが出来ました。
  眺めが良くすごく気分が良かったです。

  月曜日に漆喰を塗りに来てくれるそうです。
  はしごをかけたままですので、今日もう一度屋上に登りました。

  屋根はきれいになっています。

  

  クスノキは南東です。

 

  北

 

  北西

 

 今日も屋上からの眺めは最高でした。


   
        


Posted by 文ちゃん at 23:42Comments(0)

2013年06月27日

何 これ!!

25日の朝、洗濯物を干しに2階のドアを開ける。
ビックリ!仰天!・・・・・
となりの屋根の向こうにニョッキー・・・・・・・・
すごい迫力で迫ってきている!

  

電柱より高くクスノキと同じくらい高い!

  

正体を突き止めに外へ
大型のクレーン車でした。

  

遺跡の発掘後で作業をしていました。

   

         

    

  

  

 裏からも

   


 夜海南の友達の家へ・・・・・
 高速道路を走っていると緑の木々の中に真赤な車がライトアップされ
 突如現れる!
 ドッキ・・・・  何これ!

 宣伝用の車の看板でした。
 昼間下からパチリ

     

        

 
 このお家の前を通るといつも気になっていました。
 何 この自転車! どうなっているの・・・・・

 

        


Posted by 文ちゃん at 23:50Comments(0)

2013年06月20日

西国3番札所粉河寺と行者道を行く!(その4)

  クスノキ

 クスノキ科の常緑高木
 暖地に自生し、長寿で高さ20メートル以上直径2メートルに達する
 全体に芳香があり、樟脳をとる。
 材はかたく器具材とする。

 クスノキの語源・由来
 「クスリノキ(薬の木)」「クスシキ(奇し木)」とする説が妥当だそうです。
 クスノキからは樟脳をとり香料・殺虫剤・防臭剤などにすることから
 「薬の木」
 「奇し」は「霊妙だ」「不思議だ」という意味の形容詞だそうです。

 粉河寺大門の近くの大神社のクスノキ
 樹齢1,000年余 高さ25m 胴回り15mの神木と立札がありました。

  

  

                         

  粉河寺の中のクスノキ

     

  
                       
  気比神社のクスノキ

     

    

  
  我家の近くのクスノキ

    

    


 最近この近くから1,500年ぐらい前の竪穴住居跡の遺跡が出てきているから
 もしかしたらかなり古いかも・・・・・・・
 いつ頃のものかすごく興味があります。
 でも・・・残念ながら樹齢は、木を切らないとわからないそうです。  


Posted by 文ちゃん at 01:11Comments(0)

2013年06月19日

西国3番札所粉河寺と行者道を行く!(その3)

   粉河寺から行者道


 

 今は珍しいたまねぎ小屋を見つける。
 昔、家もたまねぎを栽培しておりよく手伝いをしたことを思い出しました。
 臭いがきつく、服にまでついて嫌だったなあ・・・・・

   

  

 時代もかわりたまねぎ小屋にも扇風機が付いています。
 たまねぎが蒸れないようにしているの?

 たまねぎ小屋のそばに、ぶどう園がありました。
 たわわ房がついています。

      

   火の見櫓

 




     碑

   

 まだ田植をしていない所、最中、機械の入らないところは手植えです。
 池がかりだから遅いのだそうです。

  

  

  
  軒下につられているこれなーに?・・・・・・・

 

                     


Posted by 文ちゃん at 00:40Comments(0)

2013年06月18日

西国3番札所粉河寺と行者道を行く!(その2)

   粉河駅から粉河寺へ

中津川の河川敷で見つけました。
川の水を汲み上げていたのかなあ・・・・

  

途中お寺の屋根の葺き替えをしているところに出くわしました。



                        
 
祭りの山車を入れているのかなあ・・・・
たちあおいが1本こんなところに!

   

大門

  

       

朽ちた土塀
僧侶が走っているよう・・・・・

  

中門

  

       

本堂

  

       

庭園 (桃山時代の石庭)

    


Posted by 文ちゃん at 00:01Comments(0)

2013年06月17日

西国3番札所粉河寺と行者道を行く!(その1)

6月14日久しぶりにチョーサンと歩きに行きました。

  JR和歌山線

 布施屋駅から乗車

  
 
 無人駅ですが、アナンウスが流れ列車が入線してきます。

   

 電車も電車の中のドアもカラフルです

 

           

           天井では扇風機が回っています。

           

  

 粉河駅到着

 

いざ!粉河寺へ

  
  
  


Posted by 文ちゃん at 00:17Comments(0)

2013年06月12日

田植

8日・9日土日にかけて田植をしました。
土曜日の夕方苗に殺虫殺菌剤の箱粒剤を散布しました。

     

    

デジカメが壊れたのと忙しかったのとで田植の様子を撮ることができませんでした。
残念!!  でも・・・・・・・

日曜日我家の田んぼの近くにすごい人の姿 次々と現れる・・・・・・
何をするのか興味しんしん・・・・
様子を見ていると何と手植えの田植が始まった。すごい人数です。
じっとしていられなくて直ぐカメラを取りに帰り撮らせてもらいました。

  

     

  

昔からの綱をはり、しるしの玉のところに苗を植えていきます。

  

                  




 皆一生懸命です。子供をおんぶして植えているお母さんたち

   

                 

ぼくもう疲れたどろんこだあ・・・・

    

     ぼくは、まだまだ・・・・

                

手植えの横の田んぼでは、田植機で植えています。
対照的です。今では、手植えのところは皆無です。

    

   


Posted by 文ちゃん at 00:16Comments(0)

2013年06月06日

田屋遺跡発掘調査(その3)

竪穴建物

     

  

      

掘立柱建物

  


調査風景

  

 

    

出土遺物

  

  

  

       

とにかくすごい! しかいいようがない!
調査結果が楽しみです!  


Posted by 文ちゃん at 22:56Comments(0)

2013年06月05日

田屋遺跡発掘調査(その2)

6月2日の日曜日の午後1時半から和歌山市教育委員会の現地説明会が開催されました。
その資料から

  

主な遺構は、竪穴建物41棟、掘立柱建物1棟、流路2条主な時代は、古墳時代中期だそうです。
今回みつかった竪穴建物は、良好な状態で残っていたものが多く、柱穴、竪穴壁の崩落を防ぐ板材の痕跡、室内を仕切る仕切り板の痕跡やベット状遺構、カマドや炉、貯蔵穴等が検出されたそうです。

集落を区切る流路も検出され集落の立地が明らかになったようです。

  

現在も調査中ですがと市の担当者が遺跡に番号を付け一つ一つ丁寧に説明をしてくれました。

  

     

   

   
  
       4つの角穴、かべに板材が並んでいた。
       柱穴が4つある。
       南東の角に貯蔵穴が出てきている。
       カマドのあともあり建物の中央にあったようです。

 ⑨の配列後⑧が作られた
 室内を仕切るカベあとが出ている

  


  


Posted by 文ちゃん at 23:17Comments(0)

2013年06月01日

田屋遺跡発掘調査(その1)

私が生まれて育った和歌山市田屋は、昭和34年4月1日に海草郡紀伊村田屋から和歌山市に合併されました。
今回の宅地造成により遺跡が発掘されたことに大変興味が湧きました。



コミセンの図書室で湯川先生の「紀伊の里あれこれ歴史のこぼれ話」の本に出合いました。その本によると
田屋むらの誕生は、2000年以上も前の縄文時代晩期から弥生時代前期の頃だそうです。
ビックリ仰天です!そんなに古い時代から田屋は存在していたのかとなんだかうれしくなりました。

紀の川の微高地に上地に住む人が田作りに通い、そのうちに小屋を建て道具や収穫した稲穂を置くようになりました。   この小屋を「田屋」といい田が広がるにつれ「田屋」が増え、人々はやがて通うよりは住み着いたほうが便利だと竪穴住居を建て住み着いたのが田屋むらの起源だそうです。

古墳時代前期にむらが廃絶し、中期(1500年)にまたむらの活動が始まったそうです。
今回発掘されたのはまさにこの時期の竪穴住居跡だそうです。

発掘調査風景

  

                        

           

発掘道具

        

明日6月2日
田屋遺跡発掘調査現地で現地説明会が開催されます。
大変楽しみです。

    

  


Posted by 文ちゃん at 23:50Comments(0)